岡村精二の経歴や現職がヤバイ!wikiプロフィールを調査!【激レアさん】

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アメリカまで5ヶ月かけてボートを手で漕いで渡った人【岡村精二(おかむらせいじ)】さんをピックアップし、情報をお伝えします。


岡村精二さんは「激レアさんを連れてきた。」でアメリカまで5ヶ月かけてボートを手で漕いで渡った激レアさんとして出演しました。


手で漕いでアメリカまで横断するというのはすごいチャレンジです。


wikiプロフィールや経歴が気になりますね!


また、現在のどんなお仕事をされているのかも気になります。


今回は、岡村精二さんのwikiプロフィールや経歴、現職についてリサーチし、情報をお伝えします。


ではさっそく本題を見ていきたいと思います。

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岡村精二のwikiプロフィール

出典:https://www.facebook.com
岡村精二のwikiプロフィール

本名:岡村 精二(おかむら せいじ)

生年月日:1953年??月??日

年齢:67歳

出身地:山口県宇部市



岡村精二さんは1953年に山口県宇部市に三男として生まれました。


原小学校、厚南中学校を卒業しています。


卒業後は国立宇部工業高等専門学校の機械工学科に進学し、1974年に卒業。


国立宇部工業高等専門学校を卒業後はお金を貯めるために底引き漁船や貨物船やタンカーなどの仕事を2年半ほど続けています。


1977年には手づくりヨットで太平洋横断に挑戦し、見事横断に成功!


その7年後の1984年には最愛の方と結婚し、二人の子どもにも恵まれています。


1992年からは「ジュニア洋上スクール」を実施し、今現在もスクールは実施されています。


他にも数々の経歴がありますが、長くなりそうなので、後ほど詳しくお伝えしたいと思います。

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岡村精二がボートでアメリカに渡ったきっかけは?

出典:https://www.facebook.com


岡村精二さんは手作りヨットで5ヶ月かけて太平洋を横断しましたが、これにはあるきっかけがありました。


中学3年生の時、「太平洋ひとりぼっち」という本に影響を受けました。


300日あれば漂流しているだけでアメリカ西海岸に辿り着くことができるので、漕いだら200日辿り着けるんではないか?


そう考え、好奇心がどんどん高まり、太平洋横断という夢ができました。


その夢をかなえるため大学進学はあきらめ、宇部工業高等専門学校を卒業後は底引き漁船などの仕事を2年半行い、350万という大金を貯めたのです。


お金が貯まった後は大変用横断に向けヨットの制作にかかります。


中学生の時に全長4mのヨットを1台、高専の時に全長5mのヨットを自作した経験があるため、太平洋を横断するヨットは全長6.3mのものを作成しています。

太平洋横断で自作したヨットがこちらです。

出典:https://okamura21.com/profile


ヨット名前は「シンシアIII世


自作でのヨットが3艇目のためIII世と名付けたそうです。


そして、1976年の23歳の時に太平洋横断のチャレンジがスタートします!


スタートしたはいいものの、何もかも順調というわけではありませんでした。


ヨットの転覆、水漏れと太平洋の横断が不可能と思われるアクシデントにも見舞われました。


ですが、それを乗り越え147日をかけてアメリカに無事に到着!


アクシデントに見舞われながらも夢を実現するために続行を選んだ岡村精二さんの精神には驚くばかりです。


アメリカに到達できたのは諦めない不屈の精神があったからこそなんでしょうね。

そのヨット名前は「シンシアIII世


自作でのヨットが3艇目のためIII世と名付けたそうです。


そして、1976年の23歳の時に太平洋横断のチャレンジがスタートします!


スタートしたはいいものの、何もかも順調というわけではありませんでした。


ヨットの転覆、水漏れと太平洋の横断が不可能と思われるアクシデントにも見舞われました。


ですが、それを乗り越え147日をかけてアメリカに無事に到着!


アクシデントに見舞われながらも夢を実現するために続行を選んだ岡村精二さんの精神には驚くばかりです。


アメリカに到達できたのは諦めない不屈の精神があったからこそなんでしょうね。

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岡村精二の経歴がヤバイ!

出典:https://www.facebook.com


岡村精二さんは手づくりヨットで太平洋横断と言う経歴以外にもすごい経歴をお持ちです。


その経歴がこちらです。

昭和54年にNHK『青年の主張』全国コンクール全国大会で優秀賞受賞。


昭和59年に体験教育を取り入れた学習塾 『至誠学舎おかむら塾』 を開校。


昭和60年に日本顕彰会『特別社会貢献者表彰』を受賞 。


平成7年に災害用早期設置型「住宅復興支援ハウス」を開発。


平成11年には宇部市議会議員に初当選。


平成15年に山口県議会議員に初当選。



岡村精二さんは過去に市議会議員、県議会議員にもなられたことがあります。


災害時の住宅復興のために支援ハウスまで開発されていますし、全ての経歴がものすごい!


子供たちの支援や災害地域の復興、山口県の市民のためにと人のために惜しみない活動を行っている岡村精二さんは尊敬できますね。

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岡村精二の現職がスゴイ!

出典:https://www.facebook.com


岡村精二さんは市議会議員、県議会議員の任期を全うしています。


ただ、他にも現職がありその内容もすごい!

学校法人「山口精華学園」理事長

NPO法人「森と海の学校」理事長

NPO法人「YMO21」理事長

財団法人「修養団」理事

岡村精二建築設計事務所:所長

(有)第一教育学習社:取締役

学校法人「香川学園」理事

宇部市レクリエーション協会:会長

宇部市ソフトボール協会:会長

山口県スポーツチャンバラ協会:会長

修養団宇部市連合会:会長

B&G宇部海洋クラブ:会長



学校やNPO法人の理事長、会社の所長や取締役などなど数々の現職をお持ちです。


岡村精二さんはものすごい数の名刺を持っていそうですね(笑)

おわりに


岡村精二さんはヨットで太平洋を横断した激レアさんでしたが、それ以外にも市議会議員や県議会議員、NPO法人の会長などのすごい経歴や現職をお持ちの方でした。


太平洋を横断した精神をお持ちの岡村精二さんですから、これからも幅広い活躍をしそうです。


市議会議員や県議会議員の任期を修了したので、今後は学校関連に力を入れていくのかもしれませんね。


岡村精二さん今後の活躍も応援しています。

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