マット・キーオさんがお亡くなりになったとのニュースが舞い込んできました。
ご冥福をお祈りいたします。
マット・キーオさんは元阪神エースで来日1年目で開幕投手を務めた投手で世間から悲しみの声が多く上がっています。
マット・キーオさんの死因は何だったのか。
持病・病気であるなら病名は何だったのか。
嫁(妻)や子供など家族はどうなっているのか。
について情報をお伝えします。
マット・キーオの死因は病気?持病や病名は?

マット・キーオさんがお亡くなりになったと公表されたのは2020年5月3日。
5月1日に南カリフォルニアで亡くなっていることが判明しました。
64歳の生涯でした。
マット・キーオさんの死因についてインターネットやSNS(Facebook、Twitter、Instagram)などで調べてみましたが、明らかっとなっていませんでした。
過去の病歴や病気・持病持ちだったということも分かっていません。
ただ、Twitterでは後遺症があったとのツイートがありました。
この後遺症の元となった出来事はメジャー復帰を狙った年のオープン戦で起こりました。
その試合で頭に打球をうけ、頭部の血の塊を取り除く緊急手術を行いました。
この影響により飲酒を頻繁に行うようになったそうです。
飲酒によるトラブルは度々あったそうで、車での事故などで逮捕されたり、身柄を拘束されたりしたそうです。
死因は頭の手術による後遺症が原因の一つかもしれませんね。
マット・キーオの家族(嫁・子供)、今現在の顔写真(画像)は?

マット・キーオさんの嫁(妻)や子供など家族の状況、マット・キーオさんの今現在の顔写真(画像)についても調べてみました。
マット・キーオさんは1984年に女優のジーナトマシナさんと結婚しています。
ただ、結婚後は別居生活を送っています。
この辺りの事情は分かりませんでしたが、別居した方が夫婦仲が良かったのかもしれませんね。
マット・キーオさんとジーナトマシナさんとの間には3人の子供がいました。
子供の名前は「シェーン」「カラ」「コルトン」
シェーンは長男、カラは長女、コルトンは次男です。
長男のシェーンはマット・キーオさんと同じくプロ野球選手となっていました。
マイナーリーグの外野手として2006年~2010年の間活動しています。
マット・キーオさんもプロ野球選手であったため、プロ野球の道を選んだのは父親の影響があったのかもしれませんね。
マット・キーオのプロフィールや経歴

名前:マット・キーオ
生年月日:1955年7月3日
年齢:64歳
出身地:カリフォルニア州ポモナ
マット・キーオさんはアメリカのカリフォルニア州ポモナ出身です。
メジャーリーグと日本プロ野球で投手として出場していました。
プロ入りしたのは1973年。
オークランド・アスレチックスに内野手として入団しますが、投手としての才能を見出され1976年にコンバートしました。
このコンバートが成功し、1977年にメジャー昇格。
メジャー昇格後はいい結果は残せず、「28先発連続勝利なし」という記録を残しました・・・
1980年には16勝をあげカムバック賞を受賞。
1982年までは3年連続で2桁勝利をあげます。
その後はニューヨーク・ヤンキース、セントルイス・カージナルス、シカゴ・カブス、ヒューストン・アストロズなどに移籍します。
そして1987年に阪神タイガースに助っ人外国人として入団します。
移籍1年目から開幕投手を務め、ストレートとカーブを武器に11勝をあげるなど、素晴らしい活躍を見せます。
その後も2桁勝利は続き、4年間の在籍で45勝をあげました。
通算107試合、45勝44敗、防御率3.73という成績でした。
おわりに
マット・キーオさんは阪神の暗黒期を支えた名投手でした。
マット・キーオさんに苦しめられた日本プロ野球選手も多いことでしょう。
その方が無くなったということですので、とても悲しいことですね。
現役時代のマット・キーオさんの姿を間近で拝見したかったです。
ご冥福をお祈りいたします。
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