ジャッキー吉川さんがお亡くなりになったとのニュースが舞い込んできました。
ご冥福をお祈りいたします。
ジャッキー吉川さんは1960年代に「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」というバンドで一世を風靡したため、悲しみの声が多く上がっています。
ジャッキー吉川さんの死因は何だったのか。
病気であるなら病名は何だったのか。
嫁(妻)や子供など家族はどうなっているのか。
について情報をお伝えします。
ジャッキー吉川の死因は病気?病名は?
ジャッキー吉川さんがお亡くなりになったと公表されたのは2020年4月21日。
4月19日に群馬県内の自宅で発見され、無くなっていることが判明したとのことです。
ジャッキー吉川さんの死因についてインターネットやSNS(Facebook、Twitter、Instagram)などで調べてみましたが、明らかっとなっていませんでした。
ジャッキー吉川さんの死因は「老衰」であったことが分かりました。
81歳でお亡くなりになったため、大往生ですね。
過去の病歴や病気だったということも分かっていません。
発見時は自宅で倒れていたということですので、急に襲ってきた病なのかもしれません。
81歳という高齢であったため、急性心筋控塞、大動脈庖破裂、脳出血などが突発的に襲ってきたのかもしれません。
2010年に転倒し、脳出血を起こした過去があるため、脳出血の可能性が高いかもしれませんね。
現在は予想となるため、亡くなった原因が明らかになりましたら、情報を更新します。
ジャッキー吉川の家族(嫁・子供)の今現在は?

ジャッキー吉川さんの嫁(妻)や子供家族の今現在がどうなっているのかについても調べてみました。
が、ジャッキー吉川さんが結婚していたという情報はありませんでした。
過去にバックダンサーの女性と噂があったようですが、確証が得られない情報であったため、こちらでの紹介は控えさせていただきたいと思います。
発見当時は一人暮らしをされていたということなので、生涯独身を貫いたのかもしれませんね。
ジャッキー吉川のプロフィール

名前:板岡公一(いたおか こういち)
生年月日:1938年8月1日
年齢:81歳
出身地:東京都
ジャッキー吉川さんの本名は「板岡公一」
ジャッキーの由来は力強い腕が「ジャッキ」のようだったからついています。
ジャッキー吉川さんが所属していたバンド「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」は1957年から音楽活動を行っていました。
中学校時代を八王子市で過ごしています。
中学、高校は法政大学中学高等学校に通い、法政大学に進学しています。
高校時代からジーン・クルーパというドラマーに憧れ、独学でドラムを始めています。
高校2年生の時にブルー・コメッツのリーダーだった大橋道二さんの紹介でバンドボーイを務めることとなります。
バンドボーイ兼ドラマーとしてで3年間ドラムの技術を磨き続け、ブルー・コメッツの正式なメンバーとなることができました。
1966年から1968年まではリーダーを務め、中心メンバーとして活躍しました。
ジャッキー吉川の代表作は?(ブルー・コメッツ)
ジャッキー吉川とブルー・コメッツの代表作がこちら!
「ブルー・シャトウ」という曲で「森と泉に囲まれて」のフレーズで一世を風靡しました。
ジャッキー吉川さんが力強くドラムを演奏する姿カッコいいですね。
「ブルー・シャトウ」は100万枚を超えるヒット曲となって、レコード大賞も受賞しています。
1966年からは3年連続で紅白歌合戦にも出場しています。
おわりに
ジャッキー吉川さんは1960年代に「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」というバンドで一世を風靡し、100万枚を超えるヒット曲を出した偉大な方でした。
その方が無くなったということですので、とても悲しいことですね。
力強くドラムを叩くジャッキー吉川さんの姿を間近で拝見したかったです。
ご冥福をお祈りいたします。
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